MSM-Mainichi こころの世紀 第10回 ネット心中の心理 教育研究所所長・牟田武生

導入部分まではすごい興味深かった。しかし後半はもう矛盾の嵐。

たとえば、最後のあたりでのこの文

自分探しをしても本当に自分が何をしたいのかわからず、本音で話せる友もなく、他人に会うと過剰な振る舞いをして疲れ果て、人と別れると心の中でほっとする。

 そんな若者達に、無責任に大人は「やりたい事がやれる時代に生まれた君たちは幸せもの」と言うが‥‥。

一見、自分探しにつかれた若者をわかってやらない大人が背中を押している…と結んだように見えるが、実はこの人前半では「今時の若いヤツは身勝手」と一蹴している。

一人では死ねない心理はどこからくるのか。

 ひと昔前は、風光明媚な場所で人に知られずに亡くなっていった。現実社会の煩悩をあの世に持ち込まず、遺体になっても他人の手を煩わさないように心配りし、この世に別れを告げる美学があった。

 そのような感情はネット心中を見る限りない。見知らぬ他人と一緒に死を向かえ、最後まで、見知らぬ誰かにメールで別れを告げ、この世に未練を残し、知らない者同士が心中していく心理は一体何を意味しているのか。

迷惑を掛けない昔の若者との対比、まるで美学でもあればいいように見受けられてしまうのはなぜ?やっぱり、この人も「今時の若い者」を否定したそうに見えるのは気のせいですか?貴方自身無責任ですから。残念!

言う事がコロコロ変わる大人が、ACを生み出している…ということも周知である現代社会で、こんな文を書くような人*1が「不登校の相談」*2なんかに乗れるのだろうか。毒親と一緒になって、子供を否定して追い立てるだけだと思うのだがどうか。

まぁソフトウェアのバグと同じで下記の原則が守られるといいんですが。

  • そのプログラム(ひと)の中にバグ(問題)があるのなら、あるなりの対処を考える
  • 自分の不備を責められるのが嫌でも、バグ探しは行う。再現しなくても報告する。
  • バグを取り除くのは当然
  • そして、作るときにバグが混入しない環境を整えるにこしたことはない

*1:推敲しててこの矛盾に気づかないなら読解力なしだし、推敲しないならしないでいい加減なヤツだ…

*2:彼の略歴から抜粋:元文部省「不登校の実態に関する調査」検討研究員